最終更新日:2019年11月7日
翌日は快晴の下、鬼木棚田を見学しました。全国の棚田の多くが地すべり地にあるように、波佐見町の鬼木棚田も地すべり跡地にひらかれた棚田でした。下部の勾配の緩い所は土羽(土の土手)で、上部の勾配のきつい所は空石積みで田んぼを作っています。
サミット会場に展示してあった鬼木(おにぎ)棚田の説明、棚田が開発されたのは平安~室町時代にかけて、棚田の枚数は700枚、41戸の農家が管理しているそうです。
下から棚田を見るとゆるい馬蹄形をしていて、地すべり跡地だと判ります。
見学会には、大勢の観光ボランティアの皆さんと子供たちが出迎えてくれました。元気な子供たちの歓迎に参加者から感謝の言葉が・・・・
棚田を側面から見たところ、地元TVの取材を受けている人は小谷村のK議長です。
ついでに素晴らしい棚田の風景をバックに同級生で記念撮影を・・・・・左から村長、K議会議長、S議会議員
この棚田のもう一つの楽しみ方は、ユニークな案山子を鑑賞することです。ユーモラスな説明文とともに170体を超える案山子が農道や町道の傍に設置されています。・・・・・下の写真の看板には「とりあえず尻だけです。・・・・ごめん。」と書いてありました。
駐車場の傍には案山子の紹介をする写真が展示してあり、それを見て思わず笑い顔に・・・・
素晴らしい鬼木棚田ですが、棚田は生産性が低く管理には多くの労働力が必要です。鬼木棚田の上部の棚田は耕作を放棄していました。下部(写真の右上)は水田の面積も広く、なんとかトラクターや田植機械も使用可能と視ましたが、上部(左から右下)は畦畔の勾配もきつく水田の幅が狭いため、手押しの耕耘機や手植えに頼らざるを得ないこと、作業には危険が伴うことなどから耕作を放棄したのではないかと思います。・・・・・大規模経営を余儀なくされている稲作では、全国の棚田に言えることで、高齢化が進めばさらに耕作放棄地は棚田を先頭に進むと考えます。小谷村もまた例外ではありません。
酒とともにイノシシの箱罠に入った案山子の写真です。
農地の荒廃が進めば野生動物が進出してきます。看板には「二十年後はイノシシの世界になります。」と書いてあり、プレートには「そんな冗談やっている暇があったら真面目にイノシシ獲れ。」と書いてありました。・・・・・思わず笑ったのですが、真剣に考えさせられました!
(つづく)