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長野県北安曇郡

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千国街道 塩の道

最終更新日:2017年3月27日

塩などの生活物資を運搬した道

日本海に臨む糸魚川から、内陸部信州の松本城下とを結ぶ街道は、近年“塩の道”とも呼ばれています。大名行列などの往来もなく、深い谷あいの山道を牛方やボッカの背で塩や海産物を運び、帰り荷は麻や煙草などを運ぶくらしの道でした。戦国時代、上杉謙信が武田信玄に塩を送った「敵に塩を送る」という『義塩』の故事も、この道に由来します。

『義塩』の故事イラスト

歩荷(ボッカ)  

荷物を背負って運ぶ人たちのことを歩荷(ボッカ)といいます。特に、雪が降り始めてからの6ヶ月間が出番で、1人塩1俵を背負って、数人で雪の山越えをしました。街道筋の農夫がほとんどでした。

牛方(ウシカタ)

雪のない季節、牛方は牛を使って荷物を運びました。1頭の牛に2俵づつ付け、一人前になると6頭の牛を追い、これを「牛ヒトメエ」(一人前)と呼びました。沿道の百姓たちが農繁期の合間に行った「作間稼ぎ」でした。

牛と馬  

 山坂の続く千国街道での物資の輸送は歩荷か牛馬の背に頼るほかにすべはありませんでした。平地では馬の方が早くても、山坂はひずめが割れていて踏ん張りの利く牛のほうが有利でした。狼や山犬に襲われたときにも馬は逃げ出してしまいますが、牛は力強く立ち向かって行ったと言います。

牛方宿の宿泊料

通常、牛方が1人で6頭の牛をまとめ移動する時には、宿料も1人分と牛6等分を払いました。「牛、米糠(こめぬか)と薪(まき)の代5厘、牛方は7厘、但し賄(まかない)は別」という明治29年の文書が大網地区に残っています。

沓掛(くつかけ)

このあたりの地名を沓掛(くつかけ)と言います。この地名は全国各地にあり、近くでは大町市にあります。古道の存在を意味する地名として重要とされています。急峻な坂道や峠付近、分岐点、山林・原野の出入口、大河の渡河地点などの交通の要地によくある地名です。

運搬道具

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