最終更新日:2019年11月7日
棚田を見学した後、峠を一つ越えた中尾郷を見学しました。
波佐見焼は、中尾郷の近くに良い陶土が産出したことから、江戸時代から大衆向けの食器を巨大な連房式登窯で多量に焼いてきた。今日でも食器生産が盛んで、白色の陶土は天草から購入しているそうですが、1990年代前半には、全国の生活雑器のシェアの1/4から1/3を占めたこともあり、現在も若い陶芸家の活躍もあり人気の焼き物(陶磁器)だそうです。
中尾郷の全景です。斜面に家屋が密集しています。隣の鬼木集落は棚田の中にありましたがここには水田は一枚もありません。
公衆トイレです。トイレのカベには絵皿がタイルのようにアクセントとして使われています。
窯元(工房)の案内にも陶磁器が使われていました。
巨大な連房式登窯跡地、それぞれの窯元が共同で長大な登り窯を使用して陶磁器を焼き上げたのだそうです。かっては隣の有田・三川内との薪炭材をめぐる諍い(いさかい)も激しかったそうですが、石炭から重油に燃料が替わり、現在はそれぞれの工房でガス窯を使用して焼き上げています。・・・・バックの工房の建物にはレンガの煙突から鉄製の煙突まで様々な煙突が立てられていました。
焼き物公園にあった登り窯
地区の神社の天井絵は絵付け師が書いたものだそうですが実に見事な物でした。
大衆向けの製品が多いとのことですが、村長は「魚の絵の蕎麦チョコ」と、孫に「猫の絵のカップ」を買いました。
完