最終更新日:2019年11月7日
昭和30年代までは、茅(かや)は貴重な資源でした。茅屋根の材料として、牛馬の飼料として、田畑の緑肥として地域共有の財産として管理されてきました。小谷村の共有地のほとんどは、薪を採取する広葉樹林と茅を採取する茅場だったと思います。この茅の管理に必要なのが「野焼」です。小谷では「野火つけ」と言います。
火を入れる前の千国の「牧の入」の茅場です。・・・・茅はオオガヤ(大茅)とコガヤ(カリヤス)が有りますが、小谷村では茅屋根はコガヤ(カリヤス)で葺きました。
4月28日に火入れをするということで朝8時に「牧の入」の茅場に行きました。・・・・共有地の皆さん50名以上に加え大学生や見学の人など大勢が集まっていました。
参加者は、長靴に厚手の手袋そして手には金属製のクマデといったスタイルです。
徒歩や軽トラックで移動して茅場の上方の持ち場につき、最初に樹林帯との境の部分のカヤをクマデで掻いて、燃える物の無い防火帯を作ります。続いて搔き集めたカヤなどの狭い範囲を燃やして防火帯を広げてゆきます。
茅場の上部、樹林帯の境に火が入った状況です
防火帯が出来たら、上方から安全と思われる幅を決めて火のついたカヤをクマデですくい・・・・・
魚のうろこのような形に引き回しますと、あっという間に炎の帯が出来ます。・・・・・・続く